資産家の家に生まれ育った人は、

真の貧乏人の心を知り得ません。でも、

貧困の家庭に生まれながら資産家になれば

双方の心を知ることが出来ます。

だから貧困だからと悲観することはない。

己が同じレベルの資産家になったとき

昔からの資産家よりも有利な立場になれます。


どんなに苦しくとも〈心の貧乏〉はダメです。

〈心の貧乏〉を続けておれば

どんなに裕福になってからも、

〈心豊かな人相にはなれない〉ものです。

富だけが必ずしも幸福ではありません。

貧が必ずしも不幸ではありません。

常々の自分自身の心がけ次第で

幸せを招いて〈心豊かな人相〉となります。

〈心豊かな人相〉の人は〈金豊かな人〉になる。


働くのは金儲けではなく貧乏を克服するのを

目的として努力しなければなりません。

だから、

貧乏を克服したならば、再発をしないために

〈休まず働く努力〉を継続的にすることを

使命としなければならないのです。

貧困の中で暮らしても心豊かな人は、

財物が無くとも品性がよいものです。

そのような人達は貧乏であっても

いずれ〈心に合った富〉を築く人になります。


自分の富を見せびらかす人は、

自分自身の下品さを見せびらかしているのに

等しいものです。

そのような人物は

財物をどんなに築いても守銭奴に過ぎず

品性がなく、いずれ富の薄さがばれて

破滅がやってくるものです。

貧乏の中で育った者は〈人の心をよく読む〉

ことができます。

〈相手の顔色を見ていなければ生活ができない〉。

だから貧乏の中で育った者は、

相手が〈何を考えているか〉の心がわかるのです。


〈高収入だから、財産もある〉と言っても

それらは人間の価値には何ら関係がないものです。

〈貧困は恥ではない〉と思っても、

己の心はなかなか納得しないものですが、

だからと〈富が幸福である〉と思ってみても

それ又、己の心は納得しないものです。

〈心豊かな人は〉財がなくとも美しく老けます。

〈心貧しき人は〉財産があっても汚く老けます。


貧困の家庭に生れきた人は、

資産家が才能や人格には無関係であるのに、

資産家の子供に〈へつらいがち〉です。

自分が貧乏であるとのひがみから、

〈貧乏人は下賤な者である〉と思う先入観が

資産家の子供に〈へつらい〉の行動を醸すのです。


資産家に〈へつらっても〉何も得をしないのに

〈へつらう心〉は自ら情けないことです。